後藤新平は偉かった!

亡父は、満鉄初代総裁、関東大震災後の帝都復興院総裁、ボーイスカウト日本連盟初代総裁などを歴任した後藤新平がいかにエライ人であったかを私たち兄弟にいつも言い聞かせていました。そして締めはいつも「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」という後藤の言葉でした。

閑話休題、海堂尊著『コロナ狂騒録』で、後藤新平(当時37歳)が日清戦争の終結後、当時コレラなどの感染症が蔓延していた戦地からの帰還兵の検疫事業に大きな功績をあげていることを知りました。調べてみると、後藤は山口県内彦島、広島県内似島、大阪府内桜島の3か所に約400棟の検疫所をわずか2か月間で完成させ、その後約3カ月間で687隻23万余人全員の検疫を行い、感染者を隔離し、日本本土への感染拡大を阻止しました。後藤はこの期間睡眠時間3時間という文字通り不眠不休で指揮を執ったと伝えられています。

これは世界の歴史始まって以来といって過言ではない大規模検疫事業で、後に編纂された「臨時陸軍検疫部報告摘要」は和文と英文で作成され、陸軍省から欧米諸国に寄贈されています。これを読んだドイツ皇帝が「戦争に勝った国はいくらでもあるが、あと始末をきちんと行った国は少ない。日本は凄い国だ」と激賞したそうです。

後藤は20歳のころに西南戦争時に蔓延したコレラ患者(発病者約千名、死者約5百名)を収容する陸軍臨時病院の傭医となっており、この時の経験が後年大いに生かされたのでしょう。

【二足の蛇足】

一足目:『コロナ狂騒録』には、胸にグサッとくる、こんなセリフがあります。

“「責任を痛感する」と言うが、責任は「感じる」ものではなく「取る」ものだ。”

二足目: ある日、某先輩に私が好きな言葉として「人のお世話にならぬよう、」と言いかけると、途中で遮って「馬鹿モン、どんな人間でも多くの人の世話にならずには生きられん。それは極めて傲慢な言葉だ」とお叱りを受けたことがあります。瞬間、ウっと詰まりましたが、言葉の一部だけを切り取ってあげつらうことの怖さを学んだ次第です。セッカチな私も、同じような過ちをしているかもしれません。今後(何年生きられるかわかりませんが)は気を付けます!

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