『生かさず 殺さず』

高齢者を対象とした在宅訪問診療に従事している現役医師でもある 久坂部羊著『生かさず、殺さず』を読み終えました。オセッカイにも私が身につまされたところを抜粋してご紹介します。一か所、アンダーラインを引いた部分は、私にとってこの本のハイライトです。

はじめは、認知症の人を一般の患者と区別するのは良くないと思っていた。しかし意味を理解しない相手に大腸の内視鏡とか、腫瘍の生検とか、激しい苦痛のある検査や治療をすることは、拷問、あるいは虐待に等しいと感じるようになってきた。強い副作用や苦痛を伴う検査は、やるべきか控えるべきか、本人が十分な意思決定が出来ないとき、家族や医療者がどこまで決めることを許されるだろうか。

気管支鏡のように、手術によっては患者さんにようすを尋ねながらしなければならないものもある。全身麻酔では苦しまなくて済むが、異変の発見が遅れて、命にかかわることも
ある。

「一般の患者は治療の意味がわかっているから、協力的な対応をするでしょうけど、認知症の人はわからないから、単に嫌なことをされているとしか思わない。当然、指示も守らないし、説明も理解しない。インフォームド・コンセントが成り立たないんですよね」

パプアニューギニアの人々にも、当然、さまざまな悩みはあるだろう。しかし、日本人のような健康不安はない。日本は医療が進み過ぎて、人々の不安が増大している、発がん物質、放射能、認知症、がんノイローゼ、血圧強迫神経症、コレステロール恐怖症、うつ病、適応障害、エトセトラエトセトラ。医療が進歩すれば、安心が増えなければならないのに、
逆になっている。

「主人は満足する力が強い人でした。それに感謝する力も。私もそれを見習ってきたんです。だから、手術のあと、何か良くないことが起こっているなと思ったけれど、三杉先生がずっと病院に泊まり込んで、こんなに一生懸命になってくれているんだから、結果がどうであれ、それはもう受け入れようと思ったんです」

「わたし、改めて自分の生き方を問い返された気がいたしましたの。これまで主人のことを嘆いてばかりいましたが、今はありのまま受け入れ、主人とともにいられることに幸せを感じています」
「でも、ご主人の介護はたいへんでしょう」
「介護は私の試練でもあるのです。いろいろトラブルもありますが、つらければつらいほど私の魂も浄化されるのですから」

そういえば、重松清『あすなろ三三七拍子』には、こんな言葉がありましたね。
「介護の日々は、つらいことも多いぞ。でもな、山下、介護と思うからつらくなる。これは”応援”なのだ。お父さんやお母さんが少しでも老後の日々を楽しく幸せに過ごせるよう、お前が応援するんだ。介護は生まれて初めてでも、応援なら、おまえはずっとやり抜いてきたじゃないか、なあ山下!」

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