よみがえる昭和の名曲「お富さん」

先日、要介護防止レクリエーション研修会に参加しました。きっかけは重松清著『あすなろ三三七拍子』のなかにあった次の言葉です。

「介護の日々は、つらいことも多いぞ。でもな、介護だと思うからつらくなる。これは”応援”なのだ。お父さんやお母さんが少しでも老後の日々を楽しく幸せに過ごせるよう、お前が応援するんだ」

会場では、地域の「100歳体操」クラブのリーダーたちに、体と頭を動かすレクリエーションのアイディアが次々と紹介されました。私が最も不得手である手指を使った脳トレのつぎに、昔懐かしい「高校三年生」に合わせて身振り手振りでダンスをしました。そして次に会場に流れたのがこの曲でした。

 この曲の作曲家は、「自分の出身地沖縄の音楽カチャーシーの要素と、チンドン屋のリズムを織り込みながら曲を書いた」と述べているように、大変リズミカルな音楽で、会場は大盛り上がり。一方で「わけわかんない」という顔で呆然と見守る若い職員。

 実はこの曲は私が北九州門司市(当時)の柳小学校で、理由も説明されないまま突然歌うことを「禁止」されました。どうやら背景には、「お妾さん」を暗示する歌詞が教育上よろしくないと社会問題となり、子供が「お富さん」を歌う事の是非を問う討論会をNHKがテレビ放映したことがあったようです。今考えれば、たしかに校長先生も小学生に分かるように禁止の理由を説明するのは難しかっただろうと理解できます。

 その後この曲は多くの歌手がカバーしていますが、なかでもメンフィスのファンクグループ、エボニー・ウェッブが歌った「ディスコお富さん」は発売2か月で25万枚という大ヒットとなりました。

 「ディスコ」といえば、私が駐在したANAホテルシンガポールでも当時大流行していた「デスコ」をオープンさせるべく、大量のレコードをイギリスに発注しました。ところが税関から「没収」の通達。驚いてかけつけると、その中の一枚に「麻薬」を煽るような歌詞があるからとのことでした。「では残りの分を引き取らせて下さい」とお願いしても「No!」 シンガポールの徹底した「グリーン&クリーン」政策には引き下がるしかありませんでした。

 またこの曲は『志村けんのだいじょうぶだぁ』でも、志村けんと石野陽子の夫婦コントにエアロビクスダンスの曲として使用されています。ディレクターの「目の付け所」に感心します。 

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