柚木麻子さんの小説『BUTTER』が英国でベストセラーになっている。昨年、同国大手書店チェーンによる「今年の一冊」に選ばれた。また同国の文学賞で新人賞に輝いている。翻訳者ポリー・バートンさんは英語圏でカリスマ的人気を誇る。彼は「日本語を吸い込んでから、それを忘れた状態で英語で吐き出す」。自然体で言葉を操る名人だ。
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昔、小澤征爾さんがブザンソン指揮者コンクールで優勝し、そのままパリに留まって指揮の依頼を待っていたが、どこからも声がかからなかったそうです。たまたま国際ペンクラブの大会でパリにきていた日本人作家(たしか井上靖さんだったはずです)に「もう諦めて日本に帰ります」と言ったところ、「私たちのやっている文学は、誰かが翻訳してくれなければ世界には通用しない。その点、音楽は違うじゃないか。君の音楽をストレートに外国のお客様に伝えることができる、素晴らしい芸術だ。もう少しパリに残って頑張れ」と励まされたそうです。たしかに文学は「あらすじ」と「文体」から構成されており、とくに「文体」を翻訳でどう伝こんな情景をえられるか?とても興味深いテーマですよね。 特に「詩」は難しいのでは? 例えば、「古池や かわず飛び込む 水の音」という俳句でも、英語では「かわず(蛙)」を単数で訳すか複数で訳すか? 英語では集合名詞を除き、ほとんどの名詞は単数か複数か厳密に区別されますよね。
多分、多くの日本人は蛙一匹としてイメージしていると思います。しかし・・・
「自分が池に近づいて行ったら、驚いたたくさんの蛙が一斉に水に飛び込んで、それまでの静寂がいっぺんにひっくり返った」 ー もし蛙を複数で翻訳されたら、それを読んだ人はそんな情景を想像するのではないでしょうか?
とりあえずアマゾンで日本語版を買ってみて、面白かったら、英語版を入手して読み比べてみたいと思っています。