「トランプ米大統領の政策をめぐって驚かされるのは、人々が依然としてその内容に驚かされていることだ」
これはベストセラー『ホモサピエンス全史』を書いたユヴァル・ハラリが2025年5月9日付日経新聞に寄稿した「トランプ氏が描く“要塞国家の世界”」の冒頭です。とても上手いツカミですね。正直のところ、私自身、最近では「驚き」よりも「諦め」のほうが強くなってきており、「これは危険な兆候だぞ」と腐りかけた脳みそからアラームが鳴り響いています。今朝も、世界保健機関(WHO)が感染症対策の新たな国際ルール「パンデミ
ック条約」の取りまとめに成功したとのグッドニュースが入ってきました。しかしトランプ氏はWHOからの脱退を表明しており、多くの主要製薬会社がひしめく米国抜きの国際条約にどれだけの実効性が期待できるか ― アメリカ人は全くはた迷惑な大統領を選んだものですね。
以下はハラリが寄稿したエッセーの抜粋バージョンです。
「自由主義的秩序の支持者は、世界が協力すれば「ウインウイン」の関係になれるとみていた。そして「協力」は相互に有益なことだから紛争は不可避ではないと考えていた。どうも自由主義者は国家間のモノ、発想の流れを潜在的な相互利益という観点から理解する傾向がある。
対照的にトランプ氏の考えは、世界はゼロサムゲームで動くというもので、どんな取引にも勝者と敗者が存在する。したがって、人、モノ、発想の往来は本質的に疑念の対象となる。彼の世界観では、国際協定や国際機関、国際法は一部の国を弱体化させてほかの国を強くするための陰謀か、すべての国を弱体化させて特定の邪悪な国際的エリートだけが恩恵を受ける陰謀となる。トランプ氏が理想とする世界は要塞国家のモザイクだ。その世界では要塞国は金融、軍事、文化の面だけでなく物理的にも高い壁で守られている。この発想は相互に有益な協力によるメリットを放棄しているが、彼や彼と似た考えを持つポピュリスト(大衆迎合主義者)らは、そうすることが自国により安定と平和をもたらすと主張する。
しかし数千年の歴史が教えてくれているように、過去のどの要塞国家も近隣諸国を犠牲にして自国の繁栄を目指し、領土を少しでも拡大したいと欲する。では普遍的価値観や国際機関、国際法なしに、要塞国家間の利害対立をどう解決できるのだろうか。この点、トランプの解決策は単純だ。弱者は強者のいかなる欲求にも従えばよいというものだ。したがって、戦争は常に弱者の責任ということになる。いまのロシア・ウクライナ間の戦争も、つきつめれば責任はウクライナにあるということだ。事実、トランプ氏はそれに近い発言をしている。トランプ氏が考える国際関係においては、正義や道徳、国際法などは考慮に値しない。重要なのは力だけだ。ウクライナはロシアより弱いのだから、もっと早く降伏すべきだった。彼の考えでは、平和とは弱者の降伏を意味する。トランプ氏はグリーンランド併合計画も同じ理屈でとらえている。弱いデンマークがはるかに強大な米国へのグリーンランド割譲を拒否し、その結果、米国が武力でグリーンランドを征服した場合、それに伴い発生する暴力と流血の全責任はデンマークだけが追うというロジックになる。トランプ氏は自国の領土と資源を守るべく壁を築く一方で、カナダやデンマークのような長年の同盟国(NATO加盟国)を含む他国の領土と資源にさえも略奪のまなざしを隠していない。
しかし、このようなトランプ氏の攻撃的な外交戦略を前にして、中国など他の強国(要塞国家)も、自国が弱い国とみなされるわけにいかないため、常に軍事力強化を図らなければならない。国予算は経済開発や福祉プログラムから軍事予算へと傾斜し、その結果、軍拡競争が激化し、人類の安全と繁栄は損なわれることとなる。さらに問題は21世紀は国家間の戦争というリスクだけでなく、気候変動や人類の1万倍の知性を持つ人口超知能(artificial Superintelligence)の台頭など、新たな問題にも対処しなければならない。これらの地球規模の問題に対処するには居応力な国際協力がなければ不可能である。しかしトランプ氏には有効な解決策を持たず、それらの問題の存在を否定するほかない。
2016年にトランプ氏が米大統領に初めて選出されて以降、自由主義的な世界秩序に対する安定への懸念は高まった。その結果、世界を協力のネットワークとして捉える自由主義的な考え方が、世界を要塞国家のモザイクと捉える考え方に置き換えられていく。その結末は要塞国家間の世界最終戦争、生態系の壊滅的な崩壊、制御不能なAIである。事態を反転させるためには、もう一度普遍的な価値観や拘束力を持つ国際法・国際機関を再構築するべく最善の努力を傾注していくしかない。もはやトランプ氏の言動に驚いたり右往左往している時間的余裕はない」
ハラリの記事の要約はここまでです。
以下は、私の論考です。
「こん棒外交」と闘争本能――トランプ現象にみるアメリカ政治文化の本質
はじめに
現代アメリカ政治におけるトランプ現象は、単なる一政治家の言動にとどまらず、アメリカの歴史的外交思想や国民性の深層を映し出す鏡である。本稿では、まずセオドア・ルーズベルトのいわゆる「こん棒外交」に立ち返り、そこに見られる外交理念と現代のトランプ的手法との異同を検討する。次に、暴力性を内包する人間の本能とアメリカ文化との関係を論じ、最後に「ディール」という語に象徴される商業的発想が、国家間関係において孕むリスクを考察する。
1.「こん棒外交」の理念とその変質
セオドア・ルーズベルト第26代大統領(1901–1909)は、「静かに話し、大きな棒を持て。そうすればうまくいく(Speak softly and carry a big stick; you will go far.)」という言葉で知られる。この発言は、彼の外交戦略――すなわち武力を背景にしつつ冷静かつ慎重に交渉を進める姿勢――を象徴している。
「こん棒外交(Big Stick Diplomacy)」を成立させる条件として、後の外交史研究家たちは以下の五要素を挙げている。
1. 敵に警戒を抱かせる軍事能力
2. 他国に対する公正な態度
3. はったりを用いないこと
4. 強行措置を取る用意が整っている場合にのみ実力行使を行うこと
5. 敗者が面目を保つことを進んで認めること
これらはいずれも、単なる恫喝や力の誇示とは異なる、洗練された外交倫理の体系を形成している。ところが、トランプ大統領の言動を分析すると、表面的にはこの「こん棒外交」を彷彿とさせる場面も見られるが、実質的には上記の条件、特に「他国に対する公正な態度」、「はったりを用いないこと」、「敗者の面目を保たせる姿勢」の欠如が顕著である。したがって、彼の外交姿勢はルーズベルト的理念の継承ではなく、むしろその表層的模倣にとどまっていると評価されよう。
2.人間の闘争本能と民主主義の欲望構造
アメリカの歴史家アラン・テーラーは「アメリカ文化の根底には暴力の衝動が流れている」と述べた。しかし、これはアメリカに限らず、人間という種に固有の性向ではないか。米誌『TIME』には、「草原で人間たちが争う様を見た親ライオンが子に『あれが世界で最も獰猛な動物――人間だ』と教える」という風刺漫画が掲載されたこともある。これは人間の暴力性を動物的本能の延長として描き出した一例である。
この観点から見ると、民主主義とは決して理想主義的制度にとどまらず、「他者よりも豊かに生きたい」という欲望の制度化とも捉えうる。つまり、国民は「より良い暮らしを実現してくれそうな指導者」を選び、その実行を迫る。その意味で、トランプが掲げた「アメリカ・ファースト」は、多くのアメリカ国民の本能的欲望に即したスローガンであり、彼が熱狂的支持を受けたことは、極めて自然な帰結であったとも言える。
ユヴァル・ノア・ハラリが警告する「ゼロサム的世界観」に立脚するならば、国民がトランプに託したのは「他国からアメリカのために利益を奪ってこい」というミッションであり、ここには、民主主義が潜在的に持つ闘争的性格が露呈している。
3.「ディール」の軽さと外交の重さ
近年、マスメディアを中心に「ディール(deal)」という語の使用が頻繁になっている。もともとこの語は商業用語として、不動産や商品の売買に用いられる言葉であり、取引成立時点で一応の決着を見る。しかしながら、国家間の「ディール」はそれとは本質的に異なり、その影響は長期にわたり、時には世代を超えて継続する。政策当事者の交代後にも責任が残り、国家全体がその成果と負担を背負うことになる。
ところが、トランプが多用する「ディール」は、不動産取引的な思考に基づく短期的かつ自己中心的な交渉観に依拠しているように見える。長期的視点、相手国への配慮、広範な影響評価といった外交の基本が顧みられていないようであり、この点において彼の「ディール外交」は極めて危うい性格を持つ。
おわりに
本稿で考察したように、トランプ現象はルーズベルトの「こん棒外交」の伝統を継承しているように見えて、実際にはその核心理念を逸脱している。また、民主主義の制度自体が持つ欲望の構造、そして暴力や奪取を肯定する本能的衝動が、トランプ的言動への国民的共鳴を生んでいる現実も見逃せない。さらに、「ディール」に象徴される商業的発想が外交の場に持ち込まれることで、国家間の信頼と安定が損なわれる危険性も浮き彫りとなった。
こうした現象を理解するには、政治思想や歴史の表層だけでなく、人間性そのものへの深い洞察が不可欠である。トランプ現象を単なる異端と片付けるのではなく、その根底にある文化的・制度的要因を掘り下げていくことこそ、今後のアメリカ政治、ひいては世界の民主主義のあり方を問い直す鍵となるだろう。