キリスト教の草創期、ローマ帝国はキリスト教徒を厳しく弾圧したため、信者たちは地下で信仰生活を続けた。その後、313年にコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認し、キリスト教はローマ帝国の国教となった。しかしその後もローマ帝国からの干渉がしばしば行われたため、カトリック教会は自立できるように役所のような強固な組織づくりを進めていった。それが現在の教皇庁である。
11世紀、イスラム王朝の圧迫を受けていたビザンツ(東ローマ)帝国はローマ教皇に傭兵の提供を求めたが、その大義名分として、異教徒イスラム教国家からの聖地エルサレムの奪回を訴えた。この結果8回(異説あり)の十字軍遠征が行われた。十字軍遠征は多くの場合失敗に終わったが、ローマ教皇はその権威をヨーロッパ内に示すことができた。
16世紀にはルターらが主導した宗教改革が勃発した。これはヨーロッパにおけるカトリックの権威の退潮をもたらしたが、ときは大航海時代、ポルトガル王国やイエスズ会などの支援の下で教皇庁は日本をはじめ非西欧世界に伝道者を派遣し、世界宣教に乗り出す契機にもなった。
18世紀末のフランス革命では、国家の脱宗教家も目指していたため教皇領は没収されるなど、バチカンは試練の時を迎えた。20世紀に入ると、教皇ベネディクト15世は平和外交を主導し、軍縮や国際的仲介機関の設置などを唱え、これがウイルソン米大統領の「講和のための14か条原則」の基盤となった。
バチカンにとって20世紀最大の汚点が第二次世界大戦時のファシズムへの接近である。唯物論に立つ共産主義は神を否定する。だからバチカンは共産主義国家のソ連と対峙したファシズムを組むべき相手とみて、ムッソリーニのファシスト政権、ヒットラーのナチス政権と相次ぎ政教条約を結んだ。この時代の教皇庁資料を公開し、当時のバチカンがホロコーストを「黙認していた」と認めたのが、このほど亡くなった教皇フランシスコである。彼は女性司祭の容認や中国との国交樹立などを目指した改革派の教皇であった。このほど新しいローマ教皇に米国出身のレオ14世が選ばれた。国際秩序が大きく揺らいでいる今日、どのようなリーダーシップを発揮してくれるであろうか?