哀悼 小澤征爾さん

小澤征爾さんが亡くなられましたね。
「僕らが死んだ人に対してできることといえば、少しでも長くその人のことを記憶しておくぐらいです。でもそれは口で言うほど簡単ではありません」 これは村上春樹著『女のいない男たち』にあった言葉です。

私はオーケストラ指揮者とリーダーシップについて小論をHOTERES誌に寄稿した時、世界中の指揮者のエピソードを漁りましたが、以下、私が記憶している小澤さんのエピソードのなかから三つだけ紹介します。

(1)小澤さんは弱冠24歳でブザンソン指揮者コンクールに優勝しても、どこのオーケストラからも指揮の依頼がなく、滞在していたパリを引き揚げようかと悩んでいました。そこで偶然知り合った作家 舟聖一 さんに帰国の予定を話したところ、以下のように励まされ、パリに留まる決意をしたそうです。
「私たち作家が書いたものは、誰かが翻訳してくれなければ外国の人々に分かってもらえない。その点、音楽は違う。とても素晴らしい仕事だ、うらやましい」

2.小澤さんは師のレナード・バーンスタインから以下のようなアドバイスを受け、以降はそれを座右の銘にしていました。
「お前は細かいところまで振りすぎる。だからみんなお前の方ばかり必死で見ている。大事なのは演奏家が自分のまわりの音にも耳を傾け、聴き合い、みんなで一緒に演奏しているということを教えてあげることだ」 そういえば、ある年のウイーンフィル・ニューイヤーコンサートで、指揮者カルロス・クライバーが演奏の途中でしばらく指揮をやめて、にこにこ笑いながら演奏を楽しんでいましたね。

3.小澤さんは、外国にいても楽屋では日本の浴衣を着てくつろいでいたそうです。文字通りグローカル(グローバル + ローカル)ですね。

昨夜はNHK BSプレミアムシアターで、2016年セイジオザワ松本フェスティバルで小澤さんがベートーベン交響曲第7番を振っている映像が放映されました。私には第二楽章が、ベートーベンが天上から小澤さんを葬送しているかのように聴こえました。

なお蛇足ですが、パソコンでOZAWAとローマ字入力した時、最初に「小沢」という漢字が出てきました。実は私はマニラ駐在時(30代前半)に当時の副社長「 澤」雄次 さんの宛名を「沢」雄二と書いて何回か手紙を書きました。宛名の横に、赤鉛筆で大きく「澤」と殴り書きがしてあるのを数十年後に会社の書簡簿で偶然見つけ、「あれさえなければもっと出世していたかもしれない」と悔やんだものです。TOO LATE! 以来、「澤」という字には気をつけています。

蛇足をもう一つ。私の葬式ではベートーベン7番の第二楽章と、ヘンデルのサラバンドを流すように言ってあります。

小澤さんのご冥福をお祈り申し上げます。

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