山田宗木『人類滅亡小説』(4)

【メディア】

 新聞など、部下が書いた記事には必ず上司のチェックが入る。また記事の論調が会社の方針(監督官庁や広告出稿者への配慮など 安徳)にそぐわなければ訂正を求められるか、没にされてしまう。つまりどんな記事にもバイアスがかかっている。もしマスメディアに価値があるとすれば、それは「情報」だけを伝えてくれる場合だけだ。

 日本人は一度事が決すると、その是非を自ら考えることなく、一斉に同じ方向に向かって突き進む傾向がある。とくに海外の動向はマスメディアを通じて知る国民が圧倒的に多く、メディアの論調に流されやすい。

【政治家・官僚】

 政治家、官僚、大企業経営者、その幹部といった既得権益者にとって、最大の恐怖は自分たちの既得権益が崩壊してしまうことだ。だから、自分たちが積み重ねてきたルールや習慣を変えようとはしない。しかし、ベンチャーは確立された権益構造が大きければ大きいほど、崩せた時のリターンは大きい。

『厚生年金保険制度回顧録(1988年)』の中で花澤初代厚生年金局年金課長が語った言葉:「厚生年金の預かり金は、何十兆円という途方もない額だ。給付開始まで20年も眠らせておくのはもったいない。これを運用して天下り先を作りまくれば、何千人という退職者の受け入れ先が出来る」

「保険料は、この先もどんどん入ってくる。仮に事業が失敗しても、二十年後には給料も上がり、保険料もそれに応じて高くなるし、貨幣価値も変わる。だから使ってしまっても、不足することはあり得ない」

 このように、国の行政の中枢で、政治に深く関わる官僚が、自分たちの定年後、老後のことしか考えていない。若い世代のことなんか、はるか以前から二の次、三の次。そりゃあ、国がおかしくなるのも当然だ。

「口ではなんだかんだ言っていても、政治家や企業経営者に日本の将来を真剣に考えている人っていないのではないか。とくに政治家は、選挙で当選を重ねて大臣を目指すためには、支持基盤をかためることに皆必至だ。支持基盤を固めるということは、上層部の号令一下、宗教団体や労組、医師会などの意向を政策に反映する活動を確約する、彼らの利益代弁者になるってことを意味する。

 候補者と触れ合う機会が少ない都市部では、選挙人は政党で選ばざるを得ない。そうなると政党が狙うのは数も多く、投票に足を運ぶ率も高い高齢者である。その結果、「高齢者の高齢者による高齢者のための政治」になってしまう。(プレストン効果 安徳)

 今僕たちは、代々の政治家と官僚が行ってきた政治の延長線上でつくられた国に生きている。少子化、過疎高齢化、膨れ上がる一方の財政赤字、年金、医療保険なんて、ずっと昔から問題視されていたのに、改善されるどころか、悪化する一方なのは、自分たちが現役でいるうちはなんとかなる、いよいよにっちもさっちもいかなくなった頃には、もうこの世にはいない、ツケを払うのは自分じゃない、後の世代だと考えたからではないか。経済界も同じだ。特に大企業や経済団体の重鎮ポストは高齢者ばっかりだ。これから主流になるビジネスは、彼らの大半が経験したことが無いものばっかりなのに長期的スパンで戦略を考えられるのだろうか。

<参考>一言をもって国を滅ぼす言葉は、「なんとかなろう」という一言である。  福地源一郎

 解決策の一つは、国会議員に定年制を設け、次世代を生きる若い世代を議員にし、中長期的視点に立った政策を立案、かつ実現すべく権限と地位を与えることだ。しかしそれは非現実的であろう。だからこの国は何も変わらない、変えられない。だから国を捨てるか、国に頼らずに生きていくしかないということになるのだ。

 だいたい政治家が家業化しているのが問題だ。親が現役のうちから秘書をやって、引退と同時に地盤を引き継ぐのだから、選挙区のしがらみをそのまま引きずって議員になる。しかも親は引退しても、ああでもない、こうでもないとわめきたてる。

 国家予算の使いかたにしても、費用対効果という概念が決定的に欠けている。どれだけデタラメがまかり通る国になっているかということに、日本人は気づいていない。東京オリンピックの大幅予算超過が発覚した時には、「やるって言ってしまったのだからしょうがないじゃないか」の一言で済ませてしまう。それだけでなく新設した競技施設は毎年膨大な赤字を垂れ流す。

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