山田宗木『人類滅亡小説』(5)

【光明】

 飲食、観光業は、当面の間はいいのではないか。日本は外国人観光客に大変人気がある。食もハイエンドからローエンド、実にバラエティに富んでいる。日本全体を一大観光テーマパークにするようなプロジェクトを打ち立てて再開発すれば、観光立国も夢ではない。食の需要が増えれば、一次産業も活性化する、祭りにしても、ねぶた、三社祭、山笠、だんじりなんかが外国人の参加をOKにしたら、世界中から観光客が押し寄せてくるだろう。(松下幸之助の『観光立国論』の先見性! 安徳)

 日本の人口分布予測では、将来東京、大阪の二つの都市に人口が集中する。その他の空白地帯を農地として整備し、最先端の技術をもって機械化すれば農業生産国となる可能性も出てくる。農耕地に適さなければ多層階の野菜工場を建設して屋内栽培をやればいい。そうなれば豪雪地帯でも年間を通して野菜を栽培できる。そこに日本人の向上心、改良改善への意欲が加われば、品種改良によって味、品質に優れた品種が次々に開発されていくのではないか。

<参考>

農業は大地(自然)を相手にしてやるが、十粒の種をまけば秋には百粒になる。価値を増殖させ、生む力がある。成果が上がった時には、感謝の気持ちが生まれる。一方、天候や気候に左右され、害虫がやってきたりして、人間が完全にコントロールできない。つまり、農業は入力したものと出力するものの間に、きっちりとした相関がない。努力と報酬の相関表があらかじめ開示してあったら、不思議なことに、人間は「やる気」が出ない。 また「アメとムチ」、つまり努力したらご褒美を、努力しなかったら罰を与えることで人は努力すると考える人が多い。そんなわけはない。人間が夢中になって(ワクワクしながら)働くのは、自分がしていることがどういう結果をもたらすことになるか、何が起こるか予測がつかないからなのだ。(安徳:陶磁器の世界も?)            内田樹・中沢新一『日本の文脈』

 農業は人類の発展に大きな貢献をしたが、同時に長時間労働、富の格差、気候変動による飢餓のリスク(移動が困難)などをもたらした。ある意味ではコメやムギが人類を家畜化することで繁栄していったと言えるのではないか。ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』

【その他】

 アートの価値とは、お金を出してでも欲しいっていう人、つまり買い手が現れ、売買が成立する。その時についた値段が作品の価値なんじゃないだろうか。つまり価値を決めるのは、作者の技量、センスではなく、それを評価する書いての感性、そして思惑(投機 安徳)だと私は思う。

 少子化問題に直面している日本、韓国、中国に共通しているのは科挙制度(厳しい大学入試制度)による教育費の高騰だ。

 必要不可欠なのになり手がいない仕事がねらい目である。

 脱原発をうたってソーラーパネル団地を作るために森林伐採しているが、二酸化炭素は植物が吸収して酸素に変えるって、小学校で教わらなかったのか。パネルの下は日陰になって、植物なんかろくに育たない。さらに10年後、20年後には膨大な数のパネルが寿命を迎え、産業廃棄物になる。初期の中国製パネルには有害物質が含まれていることもわかっている。

 リニアも、品川、名古屋を47分短縮するためにあんなものを新設したら、東海道は在来線、新幹線、リニアの三つで結ばれる。人口が減れば利用者も減るのに・・・。それに47分短縮されるってのは乗車後の移動時間のことで、駅は大深度の地下になるから、乗り場に行くまでの移動時間を加えると、新幹線と大差ないという話もある。

 ベンチャーであろうとなかろうと、自分のやりたいこと、進みたい道を学生でいる間に見つけてほしい。だから私はひそかに、息子が「やりたいことが見つかったから学校を辞める」と言い出さないかと期待してる。

 組織が大きくなればなるほど採用基準は学歴、成績、活動歴、資格の有無、果てはSPIの成績をもとに標準化していく。しかし、得手不得手があるのが人間ならば、特定の分野で図抜けた才を発揮する者もいるのも事実である。書類選考や試験、数回の面接程度で受験者の能力のすべてを把握できるものではない。こうして考えると、大企業の採用試験とは、「埋もれている優秀な人材」を発掘するどころか、むしろ排除することになっているのではないだろうか。

 日本では男女ともに晩婚化が進んで、第一子出産年齢の高齢化も進んでいます。実際私自身、仕事の関係で38歳で出産しましたが、妊娠が分かった時、医師から、この年齢での自然妊娠は奇跡なんだと言われました。生殖年齢というものがあって、寿命は伸び続けていて外見上は老化の速度も遅くなっていると思われがちですが、人間の身体能力は昔からそれほど変わっていないそうです。

 資金力もある、優秀な人材も、技術力もある大企業がイノベーションを生み出せないのは、仕事が与えられるもので、自分では選べないからである。

 「完全自動運転なんて言い出そうものなら、機械に任せて人命が失われたらどうするんだという声が湧いて出てくるだろう。なんせ、人命は地球より重いって、テロリストを釈放しちゃった国だし、そこにドライバーって職業がなくなってしまうとなれば、すんなりとはいかないだろう」

「そんなこと言っているから日本は世界から置いてけぼりにされてしまう」

「トラブルをゼロにするのは論理的には可能です。しかしそれを目指すのはコストと時間の浪費です。トラブルや事故は必ず起こるものと割り切って、発生した都度対策を講じればいいんです。実際、アメリカや中国は、そう割り切って実用化に踏み切った。自動運転車のシステムのバグ修正なんて、無線で全車同時にやれちゃうんだし、人命が失われたらどうするんだというのなら、そのために保険があるじゃないか」

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