私の祖先

1185年、壇ノ浦海戦で入水された安徳幼帝は、現在の北九州市門司の海岸に流れ着いたそうです。幼帝が衣服の塩を洗い落とされたという井戸には、立派な石碑が建っています。そして幼帝を護っていた平家の落人が近くの「柳の浦」に幼帝のための御所(「柳の御所」)を造営したため、その場所付近が大里(ダイリ ”内裏”から由来)と命名されました。
【私は小学校から中学2年まで大里に住んでいました。住所は門司市大里 柳原町でした。「柳の御所」での縁日は懐かしい思い出です】

その後、幼帝は源氏の落人狩りを逃れて九州を南下し、いまの八女市付近で地元の娘と結ばれて、子供も生まれたそうです。なお八女市から南では安徳姓がぷっつりと消えていると聞いたことがあります。
【私は昭和20年に八女郡(現在は八女市)川崎村で生まれました。当時まわりには多くの安徳姓の家がありました。そして私は小学校に上がる直前に八女から門司に引っ越したのです】

いかがですか? 私が安徳天皇の末裔ではないかと思い始めていませんか? 最後にもう一つ大事なことがあります。私が自己紹介すると、「そう言われれば、あんたの顔はどことなく高貴に見える」と言われることがあります。いつもアタマに「そう言われれば」が付くのは残念ですが・・・・。 それともみんなは「後期(高齢者)」に見える」と言っているのかな?

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