川崎造船所(川崎重工業の前身)社長松方幸次郎が大正初期から昭和初期に収集した膨大な美術品「松方コレクション」は、経済不況による事業没落や戦火により多くが散逸・焼失した。第二次世界大戦後、在仏の松方コレクションは敵国財産としてフランス政府に接収された。返還交渉は難航したが、松方の友人でもあった吉田茂首相が「交渉は俺に任せておけ」と言って直接交渉に乗り出した。その経緯が私の大好きな原田マハ著『美しき愚かものたちのタブロー』に書かれている。細部ではフィクションも含まれているであろうが、その概要は以下の通り。
(1)吉田首相は、サンフランシスコ講和条約で我が国の国際的な主権回復が実現したその当日、フランス外相との第一回目の会談の冒頭に在仏松方コレクションの返還を持ち出した。(これは吉田首相が考えた、最高のタイミングと最適な交渉相手の選択であった。)
(2)しかし吉田首相は、すぐに返還を求めるのではなく、戦前、ロシアを訪問時に美術館に行ったことがあるという昔話から始めた。そして、そのなかに多くのフランス人画家のすばらしい作品があり、フランスという国の文化力に感動したと語った。
(3)そのあとで、フランスが接収している松方コレクションには多くのフランス人芸術家の作品が含まれており、自分としてはぜひ日本人国民にこれらの作品を見せて、文化の力で日本復興のエネルギーにしたいと考えているのでぜひ協力願いたいと言った。
(4)当初は拒絶するつもりでいたフランス外相も断りにくくなり、美術館を建てて、そこに展示するという条件で返還を了解した。
(5)その後、受入れのための美術館は当時フランスで活躍していたル・コルビュジエにより基本設計が行われ、1959年に国立西洋美術館として開館した。同館は現在、世界遺産となっている。
私も海外で小さな交渉ごとに右往左往させられたことがあるが、この吉田首相の周到かつ果断な交渉術には感服したので紹介させてもらいました。なお吉田茂は、我々世代に向けて以下のような言葉を残しています。
「新憲法によって我が国のいわゆる民主主義が確立されたが、現在の政治形態が果たして当初に期待された如きのものであるやいなや。 真の民主主義が確立されるまでは、国民は深き注意をもって常に政治・政局を監視せねばならぬ。政治のあらゆる段階に人気取りが横行する。それは結局国民の負担となり、ひいては政治の腐敗、道義の低下を助長するのである。」