4月7日、建築家 池田武邦(1924~2022)さんの生誕100年蔡が佐世保で開催されました。池田さんは、日本海軍の軍人として軽巡洋艦「矢矧」に乗り組み、同艦は沖縄会戦で沈没。5時間、重油まみれの海中を立ち泳ぎしながら漂流し救助されました。敗戦後、東京大学建築科を卒業し、日本最大の建築設計事務所の社長として、日本最初の超高層建築「霞が関ビル」を始めいくつかの超高層ビルの設計を手掛けられました。
しかし次第に池田さんは超高層ビルは効率的な建物ではあるが、自然環境とは対立するものではないかと考えるようになり、佐世保のテーマパーク「ハウステンボス」では、一転して環境保護に徹底的に重点を置いた全体設計を指導されました。この間、福山市鞆の浦の景観問題にも深く関わっておられます。
生誕100年蔡にはご子息も来られて、「小さいころ、その日の出来事を父に話すと、じっと聞いていた後にいつも、”それでお前はどう考えているのか?”と尋ねられ閉口した」と思い出話を披露されていました。 引退後は長崎県西海市の穏やかな大村湾に面した海岸に、クギを一本も使わない伝統的な茅葺きの別荘「邦久庵」を建てて、住まわれました。名前は自分の名前の「武邦」と奥様の名前「久子」から一字ずつとってつけられたそうです。とてもいいエピソードですね。
私は、約25年ほど前、ハウステンボスJR全日空ホテルの総支配人のころ、「邦久庵」を訪れてお話を伺い、奥様手作りの料理を頂きました。写真はその時のものですが、本当に私にとって至福の時でした。池田先生のすぐ後ろが大村湾です。心よりご冥福をお祈り申し上げます。